157 件の資料が見つかりました。
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広報 しいば 第327号 1980年11月発行
を整え、もみじやシャクナゲの名所を作り、鶴富屋敷や椎葉ダム、八村杉をふくめて観光地にする事です。そのためには、日向や熊本方面から短時間で来られるように、道路の整備をしなければなりません。そうすることによって、観光客がぐん...
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広報 しいば 第339号 1981年11月発行
など。とてもめずらしいものばかりでした。鶴富屋敷は、藤原朝の寝殿造りの代表民家として重要文化財に指定されているとのことで、当時にこんなすばらしい建物があったのかと感心させられました。上椎葉ダムに行くと、そこはと読谷村の子...
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広報 しいば 第343号 1982年3月発行
方面に向うことになっています。椎葉では、鶴富屋敷を特別開放し、ひえつき節などの郷土芸能の公開や、朝市、餅つきで歓迎することにしています。本村は年々、観光客が増加しているものの、冬場の入り込みは少なく、三月まではシーズンオ...
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広報 しいば 第349号 1982年9月発行
ーチ式ダムとしては日本最初の上椎葉ダムと鶴富屋敷を描くものです。記念押印に、故郷のたよりに多数のご利用をお待ちしております。郵便局だより九月十一日、十二日に総合グラウンドで開催された秋季野球大会は参加七チームで熱戦が展開...
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広報 しいば 第357号 1983年5月発行
逃げのびたと言い伝えられています。椎葉の鶴富屋敷に匹敵する平家屋敷もあり、ここには安徳帝の親衛隊が持ってきたという平家の赤旗が保存されています。人口三千人余りの村で、総面積落人伝説と秘境の地東祖谷山村と姉妹村にが行われま...
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広報 しいば 第376号 1984年12月発行
.376121984.11.18上椎葉(鶴富屋敷)今年も静かに暮れてゆく。ねばり強く頑張ろう。若者よ、山の仕事に誇りもちにねばりが欠けている。詩、それも今では忘れられ、餅餅搗きは、師走の暮れの風物る娘らに望み少しは通じた...
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広報 しいば 第377号 1985年1月発行
間にか忘れてしまいます。椎葉村字上椎葉(鶴富屋敷)父那須初母弘子赤ちゃんこんにちは(2)48向山日添「ちんち神楽」...
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広報 しいば 第378号 1985年2月発行
であり、それを見せていただくためだった。鶴富屋敷とは、又一つおもむきの違う風格がこの家には感じられる。周囲の環境が異なるせいだろ先年、西郷農業改良普及所による仲塔地区懇談会の帰途、椎葉支所長さんの案内で、大久保地区の那須...
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広報 しいば 第380号 1985年4月発行
二十二日と二十五日に本村を研修で訪れた。鶴富屋敷では、本村黒木勝実総務課長が、椎葉の歴史や伝説などについて説明した。なかでも鶴富姫と那須与一のラブロマンスの話しになると、新人ガイドの皆さんは、一段と目を輝かせ話しに聞きい...
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広報 しいば 第386号 1985年10月発行
)60No.386101985.9.26鶴富屋敷もうすぐ本番、頑張ろう。心をこめて、暖かく。「客人を迎えそして送る」椎葉平家八百年まつり。村民企画した。生き生き椎葉つくろうと五千さあいよいよスタートだ。舞台は整った。鶴富...
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広報 しいば 第388号 1985年12月発行
N0.38860121985.11.10鶴富屋敷さあ、これからが、正念場。づくり図ってみようと考えた。舞台を正夢に変えて豊かなむら何だとばかり、逆手とり、夢の過疎が、不況が、不景気が、を考えた。人み〜んな参加して、村の未...
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広報 しいば 第389号 1986年1月発行
くこともなく、ただ村落があるだけの椎葉と鶴富屋敷をみただけの観光でした。今回は、秋の紅葉を満喫して帰りました。宮崎市石井寛富貴子紅葉の美しいロマンのふるさとにお邪魔させて頂き、皆様こぞっての八百年祭の数々の催しを心ゆくま...